形にするということ 〜ブログを書こうと思った理由〜
ごあいさつ
どうもはじめまして、Kです。ちょこっとブログを開設してみました。思ってることを吐き出すだけの不定期更新ですが、ぼちぼちやっていきます。
ちょっと自己紹介ですが、大学卒業後に営業サラリーマンとして2年働いてます。(2016年4月時点)
あっという間の2年間でした。めまぐるしく日々が過ぎて、個人的にも社会的にも、世界的にも色んなことが変化しました。そうやって変わってく世の中で、その時々の「思いを言葉にして残したい」とブログを開設したわけであります。
心の柔軟性
上でも書いた通り、世の中は常に変化し続けています。
それに伴って僕たちも常に「考え・概念・意識」を変化させながら生きています。置かれている環境が変われば意識は変わるし、その時々の感情によっても簡単に揺さぶられます。
ちょっとしたパラダイムシフトがあると思考の枠組みなんてガラッと変わってしまう。たくさんの人がよく言うけど、インドひとり旅したときは本当に衝撃的だったよ!それまで気にしてたことなんて全部吹き飛んだ。
つまりですね、人間の「考え・概念・意識」は目に見えず、限りなく不安定なものです。
逆に言えばですよ、僕たちの心は「抜群に優秀な柔軟性」を持っているということなのです。目まぐるしく変わっていく世の中に対して自由に適応できる唯一の力だと思っています。
「モノ」はいずれ朽ちる
少し話は変わりますが、黒電話は知っていますよね。当時としては利便性も高く、非常に価値のあるものだったと思います。
ですが、今は「電話線がいるし、持ち運べない、連絡先の登録もできない」ともはや無用の長物です。
アンティーク的に見るとおしゃれですね
今はスマートフォンがありますが、それも何年、何十年か先でいずれは同じ行方を辿ると思います。
何が言いたいのかと言うと、「モノ」っていうのは輝くタイミングが過ぎれば朽ちていくばかりなのです。
それに対して、人というのは自分次第でいくらでも輝き続けることができます。陳腐な表現ですが「人の無限の可能性」っていうのはつまりそういうことだと思っています。
僕がブログを書こうと思ったのは、そういった輝きの一瞬一瞬を形にして残す為です。
やがてはその形も朽ちていくんでしょうが、過去があってこその未来です。黒電話がなければ今のスマートフォンもこの世には無かったでしょう。
形にして、朽ちて、形にして、朽ちて。
そうやって表現する手段として「文字」を使おうと思ったわけなのです。特別な才能を持たない人にも、ある程度の的確さで形にできる最適な手段だと思います。義務教育バンザイ。
以上!!