森の中で一本の木が倒れた【オカンの話】
もう十数年前の話ではありますが、僕は子どものころ引きこもりでした。つまりいわゆる不登校生徒でしたが、僕が学校に行かないことに対しては特別強くは何も言われませんでした。あるとき、そんな僕に言ったオカンのひとことが頭の中に今も強烈に突き刺さっています。
別に何もふか〜い言葉ではないですが、忘れられないので紹介します。
声を出すということ
引きこもりということはですね、人とのコミュニケーションはパソコン越しがほとんどでした。そうなると当然、発話機能が低下するわけで、僕は声の出し方も忘れるレベルで人と喋ってませんでした。そんな僕にあるとき母が言ったひとことがこちらです。
「相手に聞こえてなかったら言ってないのと同じやで。」
ごくごく当たり前のことですが、チャットやメールなどのコミュニケーションしかしていなかった僕にとっては大きなパラダイムシフトでした。
(MMORPGひたすらやりまくったなぁ...)
フォンテンブローの森の中で
少し話は変わりますが、とある有名な問いかけ文を知っていますか。下記のようなものです。
"If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?"
出典:If a tree falls in a forest - Wikipedia, the free encyclopedia
日本語のものが出てこなかったので英語wikiからです。和訳すると「森の中で一本の木が倒れた。そのとき森には誰もいなかったので、倒れる音を聞いた者はいない。さて、その木は倒れるときに音をたてたか?」
思考実験用の寓話なので、この問いに正確な答えはありません。有名なパラドックスである「シュレディンガーの猫」と同じ性質の話ですね。(もともとは量子力学の話ですが。)
シュレディンガーの猫って、もはや中二病ワード化してて言うの恥ずかしい...
「存在する」ということ
これと同じような話で、アイルランドの哲学者/聖職者である"ジョージ・バークリー"の言葉で、こういうものがあります。
「存在するとは知覚されること」
他者に認知されることで、初めて存在するわけです。誰ひとり「見たことない/聞いたことがない/記憶にない/知らない」というものは存在していないに等しいということです。
つまりですね、うちのオカンはこれと同じこと言ってたわけだと思うんです。
「相手に聞こえてなかったら言ってないのと同じ(=認知されてなかったら存在してないのと同じ)」
転じて、いくら思うことがあっても人に伝えなければ思ってないのと同じかなっていう風に僕は考えています。
察するっていうのも大事だけど、ちゃんと本人に言わなきゃ/聞かなきゃわからないことも沢山あると思います。とても難しいことだと思いますが、そういうところから「誤解/勘違い/思い込み/偏見」が生まれてしまうと思うんです。
僕のオカンは、コミュニケーションが苦手な僕に「"言いっぱなし"じゃなくきちんと伝えろよ!」っていうことを少ない言葉で教えてくれようとしてたのかなと今になって思います。(でもやっぱりまだ難しい...)
表現と生きること
今の僕はこれを自分なりにもう少し拡大解釈しています。以前、下記の記事で「肉体としてただ生きるのではなく、美しく生きることが大切」という考えを書いています。
その記事の考え方と共通する話になりますが、「表現しなければ、(美しく)生きていないのと同じ」と考えています。
美しく生きる。自分らしさを発揮する方法とはなんでしょうか?
それはつまり「表現する」ということだと思います。
そして、表現するとは「自己完結せずになんらかの形でクリエイティブになること」だと思っています。その方法は十人十色だと思います。
今回はオカンの言葉の紹介記事なので「表現する」のテーマについてはまた別記事で投稿します。ちょっと大げさですが、という言葉を残して今回は終わりにします。
以上!