【それって偏見?】聞き慣れない"あちゃ〜症候群"とは?(Uh-Oh Syndrome)
みなさんは「あちゃ〜症候群」というのをご存知ですか。
多分知らないと思います。僕が作りました!というか、とあるyoutube動画に「Uh-Oh Syndrome」という言葉が出てくるのですが、それを無理やり日本語にしただけです。
Dr. Steve Robbinsという方が「多様性と包括性(Diversity and Inclusion)」について講義している動画の一部です。5分弱の動画ですので、とりあえず下記を御覧ください。(英語の講義ですが日本語字幕を作ったので、字幕機能をONにして見てください)
表面だけで判断するということ
僕がこの動画を紹介したのは英語の発音がどうだこうだっていう話をしたいからではありません。パッと見だけで判断することがいかにもったいないことかという話です。
誰にだって「関わりたくないもの」はたくさんあります。人間の脳は良くできていて、それらの関わりたくないものに対し偏見/思い込みなどのフィルターを使うことで半自動的に行動の選択をします。直接的に関わるストレスを回避できるようになっているわけです。
この動画で出てくる外国人教授の講義をキャンセルした学生たちは、そのフィルター全開で行動をしています。
「聞き取りづらいからめんどくさいな、やめよ」
「え、カタコトじゃん。どうせ内容もレベル低いよね」
「質問してもちゃんとした回答返ってこないだろうな」
おそらくこんな感じで、講義の中身なんてそっちのけで偏見/思い込みに行動を全て委ねています。
まぁ、「避ける」というのは一種のストレスコントロール方法ですので、防衛手段としては適切かもしれません。教授の発音が不愉快ならば、受講をやめればストレスを回避できますね。
でもそれってある意味「臭そうなものに蓋をしている」のと似たようなもので、実のところ何の意味もないのです。
考える力は衰える
そういったフィルターは人間の脳の優秀な防衛機能です。ですが、そればかりに任せていると「考える」という力はどんどん衰えていきます。
...といった内容を図にしてみました。
今回の話だと、「表現=教授の講義」「理解=生徒の理解」と置き換えて見てください。
本来であれば教授の講義(表現)を聞いて、考えて、理解するのですが、「考える」のまわりには偏見/思い込み/既成概念/常識などのフィルターがかかっています。
そのフィルターたちからの悪魔のささやきに身を任せていると、「考える」という機能が麻痺をして、しまいにはその力そのものが衰えていきます。
講義をキャンセルした学生は思い込みというフィルターに全てを委ねて、考えるという機能に働かせる暇も与えず行動しています。これでは考える力が育つわけがありません。
僕が冒頭で「もったいない」と言ったのは、「教授の講義が受けられなくてもったいない」ではなく「考えるというチャンスを自ら放棄している」ということです。つまり成長のチャンスを自ら放棄しているということになります。
日常生活で僕たちは、伝え手・受け手をリアルタイムでシフトし続けています。「理解・表現の両方」を常に行っています。そして、その両方の間には「考える」があります。考える力が衰えるということは、日常での理解する力・表現する力の両方が衰えるということです。
僕が下記の記事で「嫌いなものこそきちっと調べる、経験する、考える」をモットーにしていると書いたのは、自分なりのそういう根拠があってのことです。
ストレスを避けて逃げるのもいいですが、たまには自ら飛び込んでみるというのも良いのではないかと、僕は思います。
名言サイトを調べてみると、比較的近い表現のものがあったので紹介して終わりとします。
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。-岡本太郎
以上!