そういう考え方もあるよね

っていう何でもありの雑多ブログ。

僕が趣味を続ける理由、僕が企画ごとをしたがる理由【皆がのびのびと生きるために】

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※前置き長いです。面倒な人は前半読み飛ばしてね。

人生を繰り返すこと

まず、もし僕が何も考えず何となく生きてるとこうなるだろうなっていう人生予想ストーリーを書きます。

25歳なう

人生って何かつまらないなぁ。学生の頃は楽しかったなぁ。
もちろん楽しいことは沢山あるけど、相変わらず仕事に行くのは嫌だし。

けどまぁ、収入は安定してるから構わないか。やりたい事も特にないし。
お給料も入ったとこだし、たまにはちょっと良いものでも食べようかなあ。

そうやって、働いてボロボロになった心を癒やしたりしてみる。
何か違う」と得体の知れないもやもやに包まれながら。

それを解消しようと、また「自分磨きだ/ご褒美だ/ストレス発散だ」とまたお金を使う。
そんな生活を繰り返して時間が過ぎていく。

そして5年後の30歳

諦めか慣れかは定かではないが「人生こんなもんだろう」と思い始める。
これが現実で、変えようのない事実だと悟った気になりはじめる。

そしてまた5年後の35歳

たぶん結婚して子供のひとりくらいできてるんだろうな。

そこでたぶん気づくんだろう。
家族のために働くんだ、って。
人のために働くんだ、って。

けどその頃になるともう人生も後半戦に差し掛かりつつある。
沢山のものを背負って、以前と比べると身動きなんてほとんどとれない。

背負ってるものを落とさないよう、慎重に慎重にゆっくりゆっくり歩く。
できることといえば、今ある収入と地位をひたすら守るだけ。

そしてまた5年後、40歳

もう結構なおっさんだ。そんなおっさんが、自分の子どもや周囲の若者にこう言うんだろう。

「社会は厳しいぞ」
「世の中そんなに甘くないぞ」
「社会に出ると辛いことばかりだから、学生のうちに遊んでおけ」

人生は個人の都合なんて関係なく、どうしようもなく流れていくもんだと。
それが前提で当たり前であるかのように、子どもや周囲の若者を育てる。

そして10年後、50歳

子どもはそろそろ就活でも始める年齢だろう。

親は「なんでもいいから就職して安定した収入を。フリーターはやめて」と言い、
子どもは「特にやりたいこともないし就活だるい。そもそも就活制度が…ブラック企業が…」と言う。

そして5年後、55歳

子どもは就職して20代半ばだろうな。

子も同じようにつらい仕事を「しなきゃいけないことだから、これが現実だから」と、どうしようもない人生をどうしようもなく生きるんだろうな。

何がしたいのかわからないし、もやもやするけど解決法がわからないから、
とりあえずもらった給料で遊んで過ごす。そしてまた、給料がもらえるからとりあえず嫌々ながら働き続ける。

世代は繰り返す

そんな「なんとなくのもやもや人生」を子どもにも繰り返させたいだろうか。

子どもはなんとなく野原に放っておいたら立派に育つわけではないし、
とりあえず過保護に檻の中に囲い込んでおけば立派に育つわけでもない。

何も考えずにほっとくと、また同じような道を辿るだけです。育てる人がいるから育つんだと思います。だから、いま自分がなんとなく生きてお金と時間に流されている場合ではないなと僕個人は勝手に思っています。

いまの自分がもしなんとなく生きてモヤモヤしているなら、自分の子どもが同じ年齢になった時、同じ思いを抱くんだろうなと。

そうなったとき、自分はどれだけ力になれるんだろうとよく考えます。

幸せって何なのかは人それぞれだと思うけど、僕は少なくともいま自分が感じているモヤモヤは解決して、その解決ヒントを自分の子どもにもうまく伝えたいなと思っています。

そして次は別のことで悩んで、更に大きく自分なりに成長してほしい。

そのためには今の自分のモヤモヤを解決する必要があります。
知らないこと、経験してないことは人に教えられません。

そのためには自分自身が育ち続けなければなりません。でも誰が育ててくれるんだろうか。大人はどうやって育てばいいのか?

社会に出てがむしゃらに苦労すれば勝手に育つわけでもないし、
金銭価値で身の回りを囲い込めば勝手に育つというわけでもない。

仕事をやめて夢を追いかけろだとか、起業してお金持ちになれだとか、そんな話をしたいわけではないです。

大事なのは教育です。

Life Long Learning

ここで少し、手前味噌ではありますが僕の話をします。

僕は大学4年間で教職過程を履修し、世界で最も教育水準が高いフィンランドに留学しに行って教育を学びました。

にも関わらず、よくもったいないと言われますが僕は教員免許を取得していません。というのも、別に先生になるために教育を学んでいたわけではなく、教育は人間が幸せに生きる上でとても重要な要素であると信じていたから学んでいただけなのです。

ところで、日本の幸福度ランキングを知っていますか。
先進国の中で、ダントツ下位の53位です。
ちなみに僕が行ったフィンランド5位です。

幸福なんて人それぞれじゃん」っていう話は一旦置いといて、この差は何が要因なんでしょうか。

確かに社会制度や政治の影響はあります。北欧は社会保障が整ってますしね。でもそれについてとやかく言っても仕方ありません。いま自分の力で変えられる現実と変えられない現実はあります。

幸せって何なのでしょうか。お金持ちになれば幸せなんでしょうか。働かず遊んで暮らせれば幸せなんでしょうか。

で、僕が日本とフィンランドでずっと教育を学んで経験して考えて、それを踏まえて更に就職してからも考えた結果、いちばん大切な要素がわかりました。いつも言ってる「アイデンティティ/表現すること/自分で考える」です。言い換えるなら自主性とかクリエイティブであることですかね。またはDIY精神です。 別にモノを作れというだけじゃなく、考え方や行動も含めた全体の話です。

モヤモヤを解決する秘密はここにあります。それこそが幸せの原理であると僕は思っています。

そしてこれらは個人個人の要素なので、じゅうぶんに「変えられる現実」です。方法もあります。ですが、意識しないとなかなか育たない部分です。ぜんぜん目に見えないので。

僕はそれを育てるのが、ひとりひとりがのびのびと生きるために最も大切なのだと確信しています。つまり僕がやりたいのは生涯教育です。日本では生涯教育の概念はかなり弱いと思うので、ピンとこないかもしれませんがとても大事なことです。

何事も意識しないと育ちません。大人になると仕事/時間/お金/責任に追われ、しっかりと意識するタイミングはあまりありません。

いい資格を取るために勉強するぞ!」っていうのはあるかもしれませんが、結局それも仕事/時間/お金/責任に追われた結果の話です。それも大事なので決して否定しているわけではありませんが、幸せかどうかとはまた別軸の話だなと思っています。

意識する

ここで勘違いして貰いたくないのが、教育とは言っておりますが決して教育者として上から目線で考えているわけではありません。

僕の考えでは教育は 「教えて育てる」ではなく、「教えあって共に育つ」です。つまり教育とは「意識的なコミュニケーション」です。(別にトーク術とかではないですよ)

人にものを教えた経験がある人はわかると思いますが、人になにかを伝えると自分の理解も深まります。自分がなにをどう考えているのかがわかります。

自分が何者であるかを知ることができるし、相手を知ることにも繋がります。また、相手はあなたを知ることもできます。つまりは、アイデンティティの認知です。

ありふれた言い方ですが意識的に考えをアウトプットすることが大切なんです。飲んで騒いでウェーイっていうのも楽しくてストレス解消になるのでいいことですが、たまには「意識的な対話/意識的な表現」という要素も取り込んでみることが大事だと思っています。

で、表現って何よ?って話ですね。人間の表現(アウトプット)については主に3種類あります。というか3種類しかありません。

  1. 態度(感情表現)
  2. 言語(思考表現)
  3. 芸術(複合表現)

この3種類でうまくバランスを取ることを意識するのが大切だと思います。

そして、この3種類の表現には共通した対義語があります。「無関心」です。

何事にも無関心でめんどくさがり楽な方に流されるまま生きていると、表現も自分の考えもアイデンティティも、何もないまま時間だけ過ぎていくのではないかと僕は思っています。 

僕が企画ごとをしたがるのも...

でも、僕はこんなややこしいことを常に考えろと言いたいわけではありません。結局は「慣れ」です。繰り返していればそのうち慣れます。でも、そのための場が無ければそもそも何も始まりません。

じゃあその場は誰が提供してくれるのか?

そこで僕は半年間くらい、毎週街コンとか社会人サークルとか、とりあえず人が集まる所に参加してみました。が、どれもなんだかしっくりきませんでした。というのも、どれも[チャラチャラしてるやつ]か[ネズミ講]のどちらかだったからです...悲しい...。

で、「じゃあ自分でやればいいやん。人任せにしてるから駄目なんや。」って気づきました。そういう経緯でなんやかんや色々しよーと思ってやってます。

押し付けるわけではなくあくまでも楽しみながら慣れるような要素を散りばめることを考えて企画をしています。(だから僕は優柔不断だったりパワーが無かったりするわけですね...あ、はてなブログからの人は何のこっちゃわかんないですねすみません)

場を提供してやるからやれよ、楽しめよ!ほら!ほら!!」っていう形は嫌なのです。僕自身も楽しみたいし成長したいのです。

思いや考えを具現化する

というわけで、僕は「面と向かって表現できる場」というものにこだわっています。上手い下手は二の次です。

例えばプレゼンテーション企画なんてまさにそうです。人に伝えるために自分で考えて、自分のことばで表現する。別に説明が上手じゃなくても、たどたどしくても構わないんです。僕自身かなりたどたどしいので…。まぁ勇気が必要ではあると思いますが。

僕がバンドセッションやりたがるのも同じです。セッションで一番大事なのは技術やセンスじゃなくコミュニケーションをとることです。僕は別にアーティスティックな表現を求めているわけではありません。大事なのはクリエイティブであることです。つまりはアウトプットする意志です。楽しむためにも、楽しもうという意志が必要ですしね。

僕がカメラで人を撮るのが好きなのも、それがカメラを通した対話だからです。撮る側と撮られる側の一対一です。もはや戦いです。被写体の良さを引き出せなければ僕の負けです。引き出すためにはどうすればいいか考えます。それが技術や知識、いい作品に繋がっていきます。趣味のアウトプットや対話を通じて、メリットが生まれる状態ですね。

ちょっと違う話になりますが、僕がフリースタイルダンジョンとかのラップMCバトルが好きなのも、それが一対一の面と向かった表現だからです。これぞ芸術!って思ってます。アドリブなので、脳みそからアウトプットの嵐です。

そんな感じで「表現すること/自分で考えること」を意識することで、なにか変わることはあるんじゃないかと。僕はそう思っております。そういう思いを形にしようと色々したがってるわけです。

思いを形にするっていうのは難しいし、労力を使うものです。でも、思いやり/協力などが揃えば案外スムーズに進むものですということを最近学びました。僕は感情表現がまだへたくそなのであまり伝えられていませんが、まわりの人たちにはいつも本当に感謝しています。ありがとう。

他の人たちの考えや思いも、お互いに協力しあって形にしていければいいなと僕は思っております、はい。みんな色々好きなことやりたいこと教えてね。そうやって各々のアイデンティティがしっかりと保たれる場、作っていきたいです。

「そんなことやって意味あるの?」は「意味あった!」になります。

以上!

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