コンプレックスを持つということに対して思うこと。【私はそれを望んだのだ!】
「コンプレックス」について、僕が思うことを書きます。
みなさん何らかのコンプレックスは持っていると思います。自分の嫌なところ。
でも、そのコンプレックスで自分を制限してしまうのは本当にもったいないなーと、僕は思います。
◆コンプレックスについて
人と関わりながら生きていく以上、劣等感というものは常に付きまとってきます。そしてそれがコンプレックスになる。誰でもあるとおもいます。
例えば、僕は昔から顔の肌荒れがひどくて、人と話すときには毎回必ずと言っていいほど「気持ち悪いって思われてないかな...」って不安になります。
あとは体毛が深いから、これもまた「気持ち悪い」って思われてないか不安になる。
それに加え、自分の声と話し方がバカっぽくて知性の欠片もなくて大嫌い。
そういうわけで、初対面の人と話すときはいつも不安がいっぱいで心臓がキュッとなる。人前に立つと冷や汗をかいて逃げ出したくなる。正直とても怖いです。
でも、そんなくだらないこと気にしてウジウジすることに意味はあるのかなー、というのがこの記事の趣旨です。
◆気にするだけでは意味がない
あえてウジウジと書きましたけど、こうやってコンプレックスをただただ気にしたところで何も意味はないです。
例えば、僕がこれらのコンプレックスを気にして、なるべく人と会わないようにしたとします。
そうすれば、僕の肌荒れは治るのでしょうか。体毛は薄くなるのでしょうか。このバカっぽい声質は知的でダンディな声になるのでしょうか。
そんなこと有り得ないですよね。
自分の嫌なところをひたすら隠したところで、自分のその特徴が変わるわけではありません。欠点を隠したところで、自分自身の持つ魅力が上がるわけではないです。
それに、そうやって隠したところで結局何かうまくいかないことがあると「やっぱり◯◯だからだ...」と負の連鎖に陥るだけです。
「こうなりたい」という理想を持って努力するのは大切ですが、「これはダメだ」っていう考え方とは切り離して考えるべきだと僕は思っています。
言い換えると、「コンプレックスに感じる必要はないが、理想に向けての努力はする」っていうのがベストな状態だと僕は思います。
◆うまくいかない原因は本当にそこ?自分の理想はほんとうにそれ?
例えばの話、「モテたい!」という理想があったとして、そのためにはその欠点(だと思い込んでいるもの)をどうにかするのが本当にベストな方法なのでしょうか?何かもっと別の視点で始められることがあるのではないでしょうか。
さらに掘り下げると、「無差別にモテたいのか?」「特定のターゲット層にモテたいのか?」「特定の人に好かれたいのか?」という理想の違いでも、考え方はがらりと変わってきます。
「嫌だ嫌だ」と思うよりも、自分が何を望んでいて何がしたいのか。まずそこからじゃないかと僕は思います。そうすると自ずと自分のすることは見えてくるし、今まで自分が悩んできたことが本当に悩むべき事柄だったのかも見えてきます。
言いたいことは、やっぱり「考える」っていうのはとても大切だなということです!
ちなみにですが、「う〜、あの人は◯◯で羨ましいな〜。それに比べて自分は××で...嫌だ〜」っていうのは考えてるうちにはいりません。それは「イジけている」だけです。
偉そうな感じに書いてますが、もちろん僕もイジけることはあります。貧弱なハートなので。
ただ、「考える」という部分の割合を意識的に増やすようにしてます。そうすると自然と良い方に向かうことも増えてきました。イジけて不登校だった頃の僕に言ってやりたいですホント...。
◆私はそれを望んだのだ!
上で哲学の記事を挿入したので、哲学について書きますが、ニーチェの使用した哲学用語に「運命愛」というものがあります。説明はWikipediaからの引用で手抜き!
この世のあるがままの運命を受け入れ、そしてそれを愛するということ。
この世に存在するすべてのものは必然的に存在しているということになる。人生において存在する物事とは好ましいものだけでなく、暗黒面とされるような恐ろしいもの邪悪なもの不気味なものも数多く存在しており、さらにそれらから生じるような苦痛というものも数多く存在する。これらのようなものに対して耐えるのみにとどまらず、これらを望ましいものとして愛するべきということである。
これらを単なる暗黒面として捉えるならばそれはニヒリズムに留まっているに過ぎない状態というわけであり、暗黒面とされていたようなものでさえも愛することができるようになりニヒリズムとなっていた状態を超えられた境地こそが、運命愛に至れた状態という論理である。(Wikipediaより)
ということです。出ましたね、ニヒリズム。「ニヒリズムとなっていた状態を越えられた境地こそが、運命愛に至れた状態」と書いてますが、それが前の記事にも少し書いた「積極的ニヒリズム」です。(あくまでも僕の解釈なので違ったらごめんなさい)
これに至る過程をすっ飛ばして、ものすご〜くシンプルに言えば「こうであれば良かったのに...」ではなく「これで良かった!これを望んだのだ!」と思えるようになるのが良いよということです。(シンプルに書きすぎて哲学勉強してる人に怒られそう...。ほんとはここに至るまでの過程も含めてが大切です。)
◆おわり
ごちゃごちゃ書いたけど、まぁ「気にすんなよ!!!」です。「ウジウジしてちゃ美しい人生送れないよ!」です。
美しい人生とは一体!っていうのは下記の記事にチョロっと書いてるので読んでください。
以上!